紅茶の日記

好きなコトに対して、気軽にゆるーく語ります。

花束みたいな恋をした

映画『花束みたいな恋をした』を観ました。付き合って2年半が経つ彼と観ました。

実は1ヶ月以上前に見てい他のですが、感想を書き留めて吐いたものの吐き出す場所がなかったので、このブログを作りました。

今後はここに書き留めて行こうと思います。

小説みたいな映画でした。よく、小説を読んでいて、臨場感があったり、情景が頭の中で再生されたりすると「映画見たいな小説」と感じることはありますが、その反対の感情を抱いたのは初めてで新鮮でした。

なぜ小説みたいな映画と感じたのか。それは、登場人物たちの感情がナレーションのような語りとして表現されているからです。映画は普通、映像を媒体として私たちに何かを伝えることが多いと思います。そのため、登場人物たちの心情は、表情で読み取ることが多い。だから、映画だと分からなかったことが、あとで原作本を読むとわかったりすることがあるのです。しかし、この映画は違いました。いい意味でストレートに、感情を言葉で表現してしまったのです。そうすることで、二人の心情の相違が明確にする効果があったと感じます。

 

私の好きなシーンは、事後にパンケーキを食べるシーンです。三日間、絹は麦の家に泊まり込み、ずっとベッドで過ごし、冷蔵庫が空になったことで久しぶりに外食をし、「パンケーキを食べているが、これは事後の二人です。」と私たちに紹介してくれます。私はこのシーンに激しく共感して、クスッとしてしまいました。世のカップルたちは皆きっと、事後に何事もなかったかのようにコンビニに行くのです。真面目な顔で店員さんにありがとうございましたというのです。

 

価値観の違いで別れるカップルは多いですが、価値観が同じでも別れることもあれば、価値観が違ってもずっと一緒に居られることもあるのです。むしろ、この映画を見て、趣味や価値観は、同じすぎてはすれ違いが生じたときにその違いが強調されすぎてしまうと感じました。少しのズレが、致命傷となってしまう。「価値観が同じことが当たり前」で過ごした二人と、「価値観が違うことが当たり前」で過ごした二人では、「ズレ」の傷の深さが違うのです。一見、趣味も好きなものも考え方も同じの二人は別れなんて無縁と思われますが、そうではないのです。いつか別れるのです。

 

印象に残ったシーン。喧嘩をして、「じゃあ結婚する?」と麦が言うシーン。思わず私もまるで自分が言われたかのように固まってしまいました。怒りと悲しさで、固まってしまいました。絹はそれでも「私もごめん」と言えるのがすごいなあと。。

印象に残ったシーン。ファミレスで別れ話をするのだろうと、おそらく映画を見る誰もが予想して居ます。しかし「別れよう」の四文字は麦も絹も口にしないのです。それなのに強烈に「別れ」を感じさせるのは、この映画の力量だったと思います。

(筆者の紅茶は、この二つのシーンで号泣。。)

別れてからも三ヶ月ほど共に暮らした二人。その時の二人が心なしかずっと笑顔だったのが印象的でした。肩の荷がおり、張り詰めた糸が切れ、そんな姿を見ていると、ああ、これが正解だったのだろうと思わずにいられませんでした。

 

私は彼と趣味は全く違います。それでよかったなぁと、映画を見て思いました。共通の趣味といえば最近BiSHを聞くぐらいです。共通の趣味が欲しいと思った時期もありましたが、お互い違う「好き」がある方がいいのかもしれません。もし同じ「好き」があれば、いつかその「好き」の方向がずれた時、きっと別れがくると思うから。